イタリア「精神病院のない社会をめざして バザーリア伝」現役精神保健福祉士の感想

スポンサーリンク

イタリアの精神科医療に大変革をもたらした精神科医師バザーリアについて書かれた本についてご紹介します。

精神保健福祉士や社会福祉士の資格試験勉強をした方ならイタリアの180号法(通称バザーリア法)を耳にしたことはあると思います。

180号法は1978年にイタリアで制定されたイタリアにおける精神病院の閉鎖を定めた法律です。

精神保健福祉士試験において、各国の精神科医療については出題頻度がそう高くないのも事実。

短期間に覚えることが多すぎて、試験対策がメインになってくると各国の歴史まで学習を深めるのは物理的に難しいと思います。

かくいう私もそのうちの1人でした。

日本の精神科病床が先進国に比べて圧倒的に多いこと、加えて精神科入院日数も段違いに多いことや、患者の人権が長らく尊重されてこなかった反省すべき歴史などはおもに講義を通して学習しました。

一方のイタリアでは精神科病院が閉鎖され、病院自体がなくなったなどと聞くと「一体どのようにして?」と疑問に思わずにいられませんでした。

そして出会ったのがこの本でした。

読み終えた後はただただ「すごい」の一言でした。

具体的に何がすごかったのか少しでもお伝えできたらと思います。

バザーリアの功績

まず本のタイトルですが、あえて「精神病院」という表現が使われています。初めに私も疑問に思った点でした。

今では精神病院という言い方は使われていません。

日本では2006年より法文の中の「精神病院」を「精神科病院」に変更することが定められました。

しかし本書では現在も施設収容的な事実が存在することを批判する著者たちの意を考慮し、あえて「精神病院」で統一されています。

バザーリア以前のイタリアはかつての日本の同じような道をたどっていました。

患者の人権は軽視され、患者は治療らしい治療も施されず極めて不衛生な環境に隔離・収容されていました。

イタリアのマニコミオという隔離施設では、治療とは無関係の日常的な拘束や電気ショック、故意に窒息させ意識を失わせる行為などが行われていました。

それらを仕事としてできてしまうようになる人間存在の恐ろしさを感じずにはいられません。

当時のイタリアでは、このような施設に収容されるのは貧しい人たちだけでした。

裕福な階層の人は、このような施設に入ることはなく治療を受ける機会や社会復帰の機会すらありました。

バザーリアは、患者を人として当然の欲求を持った人間であることを尊重し、隔離・収容型の精神病院廃止の大改革に着手しました。

既存勢力やバザーリアに反対する政治的圧力、妨害行動と闘いながら、やがてトリエステという地域で新たな改革に着手します。

バザーリアの試みに対する激しい批判や抗議はおさまりませんでしたが、トリエステがWHO世界保健機関の「精神保健のパイロット地区」に指定されたことでWHOの後ろ盾を得ることが出来ました。

結果的にトリエステの試みは大成功をおさめ、現在でも世界各国から研修や視察の依頼がトリエステの支援機関に途切れることなく寄せられるそうです。

バザーリアの功績と今日の精神保健システム

ではトリエステでは一体どのような取り組みがなされていたのでしょうか。

トリエステの成功について一部引用させていただきます。

トリエステでの実験が、より良い精神医療の実践だけでなく、コスト削減の可能性を実証してみせたことも確かである。精神病院を廃止して、急性期の病を抱えていたり、精神的クライシスにあったりという、危機的状況化の患者たちの受入れ体制と入院のための小規模で軽装備の避難所をつくり、そのそばに予防のための地域ネットワークを配備すればいいのである。なぜなら、心病む人に寝間着を着せる必要などないからである。

ミケーレ・ザネッティ,フランチェスコ・パルメジャーニ著 鈴木鉄忠 大内紀彦 訳「精神病院のない社会をめざして バザーリア伝」岩波書店 2016年より引用

読み進めていくうち、私が一番驚いたのがまさにこのトリエステでの試みでした。

精神科病床の削減や地域移行など、日本がまさに目標を掲げて取り組んでいることを40年先に実現している!!という点に一番驚きました。

当時トリエステで実行された具体的な取組みは、精神科病床の廃止、在宅支援、24時間の精神保健福祉センターの実現などです。

専門学校で学んだこと、病床削減の目標や方向性、地域生活支援などが当時ですでに実現されている・・・

先ほどご紹介したように、WHO公認の試みで成功をおさめたため、成功モデルから主流モデルとなり日本も習っているのでしょう。

頭では理解できるのですがあまりにも先進的過ぎて驚きました。

日本ではその後の1980年代以降、精神病院で無資格診療や入院患者が被害者となる痛ましい暴行傷害致死事件が起こり国際的に批判を受けますが、それ以前の話です。

長期入院から地域生活へ

遅れて日本も社会的入院が問題視され始めました。

社会的入院とは、症状が落ち着いて新たな治療の必要がないにも関わらず、退院先や地域で生活する場所がないために入院している状態のことを指します。

さらにそれが本人の同意によらない入院であれば完全な人権侵害にあたります。

病院は本来病気の治療をするための場所です。生活する場所ではありません。

内科系や外科系の病気をイメージするとわかりやすいかもしれません。

病気で入院しても治療が終わり、症状が安定したら通常は担当医師が退院を許可します。

本来は精神科もそれと同じはずです。

日本では国内外の批判を受けて、精神障害者の人権を守り社会復帰の促進を目指すことを目的に1987年に精神保健法が制定されました。

改正を経て現在では精神保健福祉法として運用されています。

さらに精神科病院から退院した患者の地域生活の相談援助を担う役として1999年精神保健福祉士が国家資格化されました。

そして2004年(平成16年)には精神保健医療福祉の改革ビジョンという国の枠組みが提示されました。

しかし残念ながらこれまでのところ、日本が先進各国に追いつくほどの大きな成果は出ていないようです。

平成30年に厚生労働省内の精神保健福祉士養成に関する検討会資料においても、日本の精神科病床の数と平均在院日数が「国際的に非常に長い」と報告されています。

国の目標といい、厳格な医療保護入院の取扱いといい、地域移行支援といいサービスの質のバラつきはあるものの日本国内の精神保健医療福祉システムはすでに構築されているように思います。

しかしいくら枠組みを整えたところで、結局のところ私たちの意識変革がなされなければシステムはただの形式的な手続きになる恐れがあります。

病院にいてもらうほうがなんとなく安心というご家族や、社会的入院を問題視していない病院関係者はまだいるでしょう。

精神科に馴染みがなく地域資源について精通していないご家族がそう思われるのは理解できます。

しかし病院関係者で、もし何ら問題はないと思っている人たちがいたら過去の歴史から学ぶ必要があると思います。

イタリアはバザーリアや彼の信念に強く共感する支援者たちがいて180号法が制定されました。

彼らを中心に先に目指すべき姿があって枠組みができていったのでしょう。

日本でも今日の精神保健システム構築に尽力された方たちがいてこそ、今の仕組みが出来上がったと思いますが、全体的に見ると枠組みだけ先にできて時間が過ぎているように思います。

長期入院や平均在院日数の問題を解消するには、精神障害者の人権や社会的入院に対する日本人の意識改革を続けることが必要と思いました。