薬物依存症リハビリ施設反対運動について

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かれこれ1年ほど前に京都ダルクのグループホーム建設をめぐり反対運動のニュースについて知りました。

続報をしばらく聞かなかったため解決したことを願っていたのですが、先日再び反対運動のニュースを目にして何ともいえない気持ちになりました。

というのも、かつて京都ダルク設立のときボランティアとして関わった経験があったためです。

この何ともいえない気持ち、言葉の見つからなさをモヤモヤのままにしておくべきではないと思い文章にまとめました。

薬物依存症リハビリ施設の建設反対について思うことは、非常に残念ということはもちろんですが、地域にこそそのような施設は存在するべきであるという点です。

その理由を3つにまとめました。

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薬物依存症は回復可能な病気である

薬物依存症は病気です。病気なので治療やリハビリが必要です。

完治はしませんが回復可能な病気です。

ダルクについてよく知らず、よからぬ想像ばかりがふくらむ反対派の方々の気持ちも全くわからなくはありません。

知らないものに対して恐怖心を抱き、自己防衛から排除へとつながる心理も理解できます。

しかし反対の声には病気と偏見を結び付けているものがありました。

マスコミの過剰報道や断片的な知識で病気を偏見と結び付けてしまうその前に、ダルクや当事者の方たちについて私たちは知るべきだと思います。

ダルクは薬物依存症患者の回復プログラムでは、長年にわたり実績がある団体です。

また薬物依存症の当事者の方たちは見た目にはわかりませんが一生をかけて病と闘っています。

病気に優劣はありません。

社会は病気を偏見と切り離して考え、もっと依存症について理解を深めるべきです。

全ての人が一市民

薬物依存症の方たちも一市民であり、社会を構成している一員です。

社会を構成している人たちは当然健康な人たちばかりとは限りません。

病気を患っている人、かつて若くて健康だったけれども年をとって体力が衰えた人、精神障害を抱えながら生活している人などさまざまな人たちがいて社会は成り立っています。

その中で地域に住む人を個人が線引きすることはできないと思います。

例え犯罪者であっても実刑判決を受けた人は日本のどこかの刑務所に行きますし、執行猶予判決が出た人は刑務所に行かずに社会で更生が期待されます。

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地域のリハビリ生活こそに意味がある

just for today

薬物依存症から回復した当事者たちは最終的には地域で生活します。

就職し、働きながら定期的にNAミーティングに出席する方もいるでしょう。

(NA:エヌエー。ナルコティクスアノニマスの略称で薬物依存症者の自助グループ)

また、グループホームのスタッフなどピア(仲間)として支援者の道に進む方もいます。

そのためにもグループホームは人里離れた場所ではなく、まさに人々の生活圏にあるのが望ましいと思います。

グループホームに入所しているときから、ミーティングや回復プログラムへの参加など回復の道のりは始まっています。

症状が安定しグループホームを出たときに、環境が変わり過ぎると本人にとって負担が大きいと思います。

本人を取り巻く環境が変わり過ぎるのを防ぐためにも施設は地域にあるべきだと思います。

ダルクの人たちと関わって

京都ダルクと関わっていたのはもう10年以上前の話です。

とはいえ、そのときの出会いは自分が精神保健福祉士を目指すきっかけの一つになりました。

世間はどんなイメージかわかりませんが、当事者の方は社交的で話がおもしろく気のいい人もいれば、無口な人もいました。

私の感想では、人生のどん底から帰還したかもしれない彼らから、自分を偽り飾ることなく前向きに生きる姿勢のようなものが感じられました。

じつは京都ダルク設立とほぼ同時代に、母校の近所に別のダルクのグループホームができていました。

所長さんを始めスタッフや入所者は開所のときから地域行事に積極的に参加し、今も地域との関係づくりがうまくいっているようです。

ネット上の福祉関連記事で知ったのですが、自分の地元だけに親近感を覚えるうれしい知らせでした。

最初からうまくいくケースばかりではないと思いますが、地域との共生が各地で広がることを心から願っています。